「
二十四の
瞳」
などで
知られる
作家、
壺井栄が
戦争の
悲惨さを
描いた
作品などを
集め、
太平洋戦争の
末期に
中国で
刊行された“
幻の
短編集”が
見つかっていたことが
分かりました
據悉,以《二十四隻眼睛》等作品聞名的作家壺井榮,收錄了描寫戰爭悲慘的作品等,於太平洋戰爭末期在中國出版的「幻之短篇集」已被發現。
紙の
不足や
言論統制で
日本国内では
出版活動が
ほぼ停止していた
時期に、
反戦的な
内容の
本を
中国で
出版していたのは、
戦時中の
日本文学の
歴史を
考える上で
貴重な
発見だと
専門家は
指摘しています
專家指出,在日本國內因紙張短缺與言論管制而幾乎無法出版的時期,能在中國出版反戰內容的書籍,對於思考戰時日本文學史來說,是一項珍貴的發現。
見つかったのは、1945年の6月10日に北京の出版社から刊行された壺井栄の短編集「絣(かすり)の着物」です
發現的是壺井榮的短篇集《絣布和服》,於1945年6月10日由北京的出版社出版。
壺井自身も手にすることができず、太平洋戦争末期の混乱で失われたと考えられていましたが、北京外国語大学の日本文学研究者、秦剛教授が北京大学の図書館に所蔵されていたのを見つけたということです
壺井本人也未能取得,並且一直被認為是在太平洋戰爭末期的混亂中遺失的,但據說北京外國語大學的日本文學研究者秦剛教授在北京大學圖書館發現了該作品。
表題作の「絣の着物」を含む13の短編で構成されていて、3作品は国内未発表の作品だということです
包含標題作〈絣布和服〉在內,共由13篇短篇小說構成,其中有3部作品在國內尚未發表。
このうち「産衣」という小説は海辺の村を舞台に、戦争で息子とその船が徴用されてしまった母親が手縫いで服を作り、息子の無事を願う姿が描かれています
在這之中,小說《產衣》以海邊的村莊為舞台,描寫了一位因戰爭而兒子和他的船被徵用的母親,親手縫製衣服,祈禱兒子平安歸來的情景。
「二十四の瞳」をはじめ、戦争の悲惨さを描いた作品を数多く発表した壺井ですが、紙の不足や言論統制などで日本国内では出版活動がほぼ停止していた太平洋戦争末期に、国内ほど統制が厳しくなかったとみられる中国で反戦的な内容の本を出版していたのは、戦時中の日本文学の歴史を考える上で貴重な発見だと専門家は指摘しています
壺井發表了許多描寫戰爭悲慘的作品,包括《二十四隻眼睛》在內。不過,在太平洋戰爭末期,由於紙張短缺及言論管制,日本國內的出版活動幾乎陷入停滯。專家指出,在國內管制較嚴的情況下,壺井卻在管制較為寬鬆的中國出版了反戰內容的書籍,這是思考戰時日本文學史時非常珍貴的發現。
秦剛教授は「庶民的な暮らしを生き生きと描きながらも、戦争で奪われたものや肉親たちの悲しみも描かれ、いずれも読み応えがある
秦剛教授表示:「雖然生動描繪了平民百姓的生活,但同時也描寫了因戰爭而被奪走的事物和親人們的悲傷,無論哪一點都很有閱讀價值。」
民間人の
犠牲を
小説に
取り入れているのは
当時、
壺井栄の
作品以外には
ほとんど見られず
貴重だ」と
話しています
將平民的犧牲融入小說,在當時除了壺井榮的作品之外幾乎看不到,因此非常珍貴。
「絣の着物」は、来月にも国内の出版社から再刊される予定です
戦争末期になぜ北京で刊行?
北京外国語大学の秦剛教授によりますと、「絣の着物」には、刊行は毎日新聞北京支局内にあった「月刊毎日社」と記載されていました
為什麼在戰爭末期於北京出版?根據北京外國語大學的秦剛教授所說,「絣之和服」記載出版單位為每日新聞北京分局內的「月刊每日社」。
「月刊毎日社」は、1944年から1年近く日本語雑誌を出版していて、この中には「絣の着物」に収録されている壺井栄の短編も掲載されていたということです
「月刊每日社」自1944年起將近一年間出版日語雜誌,其中也刊載了收錄於《絣之和服》中的壺井榮短篇小說。
秦剛教授によりますと、1944年に入ると国内の出版物は、紙などの物資の不足が深刻となりページ数の削減や廃刊が相次いだ一方、中国など外地では積極的に日本語の雑誌や本が刊行されたということです
根據秦剛教授的說法,進入1944年後,日本國內的出版物因紙張等物資嚴重短缺,導致頁數減少或接連停刊;另一方面,在中國等海外地區,則積極出版日語雜誌和書籍。
「月刊毎日社」はほかにも吉川英治の著作を刊行したほか、別の出版社が上海で刊行した日本語雑誌の「大陸」には井伏鱒二や佐藤春夫、壺井栄の作品が掲載されたということです
《月刊每日社》除了出版吉川英治的著作之外,據說還有另一家出版社在上海出版的日語雜誌《大陸》上,刊載了井伏鱒二、佐藤春夫、壺井榮的作品。
今回見つかった「絣の着物」は壺井栄自身も手にすることができず、終戦後に週刊誌の掲示板で「『絣の着物』をお持ちの方はいらっしゃいませんか」などと呼びかけていました
這次發現的「絣布和服」,連壺井榮本人都無法得到,戰後她還在週刊雜誌的佈告欄上呼籲:「有沒有人擁有『絣布和服』呢?」
秦剛教授は「国内の雑誌の発行が困難だった当時、外地で日本の雑誌を刊行し、国内での空白を補う考えが出版社にはあったようだ
當時國內雜誌發行困難,出版社似乎有意在外地出版日本雜誌,以彌補國內的空白,秦剛教授如此表示。
当時は
言論統制もあって
戦争反対の
作品を
声高に
発表することはできなかったが、
壺井栄は
庶民的な
視点で
銃後の
日々や
暮らしを
語り、
戦争を
否定する
意図もあったのではないか」と
指摘しています
當時因為有言論管制,無法高聲發表反戰作品,但有評論指出,壺井榮以平民的視角描寫後方的日常生活,或許也有否定戰爭的意圖。
壺井栄と“反戦文学”
壺井栄は1899年に香川県の小豆島に生まれ、1938年に作家として本格的にデビューしました
壺井榮與「反戰文學」 壺井榮於1899年出生於香川縣的小豆島,並於1938年正式以作家身分出道。
小説やエッセーなど生涯におよそ1500の作品を手がけ、中でも1952年に発表した「二十四の瞳」は小豆島に赴任した女性教師と教え子たちが戦時下の混乱に巻き込まれる姿を描き、映画化もされて大きな話題を集めました
他一生創作了約1500部小說與散文等作品,其中1952年發表的《二十四隻瞳》描寫了一位被派往小豆島的女教師與她的學生們在戰爭混亂中所經歷的故事,這部作品也被改編成電影,引起了極大話題。
壺井栄は庶民的な視点で銃後の日々や暮らしを通じて戦争の悲惨さを描いた作品を書き続け、1967年に67歳で亡くなりましたが、反戦文学の代表的な作家として今も読み継がれています
壺井榮以平民的視角,持續創作描寫戰爭悲慘情景的作品,透過描繪後方日常生活與生活方式表現出來。她於1967年以67歲之齡去世,但作為反戰文學的代表作家,至今仍被廣泛閱讀。
北京外国語大学の秦剛教授によりますと、戦争末期、紙の不足や厳しい言論統制で作家たちの作品発表の場は制限されていて、執筆依頼には、闘う国民や勤労を主題にした小説などの条件が課せられたものもあったということです
根據北京外國語大學的秦剛教授表示,在戰爭末期,由於紙張短缺和嚴格的言論管制,作家們發表作品的機會受到了限制,有些投稿邀請甚至附加了以奮鬥的國民或勞動為主題的小說等條件。
壺井はこうした中でも1945年の3月ごろまで執筆を続けていて、当時、「今日の状態では作家は正直に物をいうこと、文字にすることについては自重を要する
壺井即使在這種情況下,也一直寫作到1945年3月左右,當時他認為「在當前的狀況下,作家對於誠實表達和寫成文字這件事,需要特別謹慎。」
しかし作家が
正直な
眼で
見、まことの
心であったならば、その
言葉の
裏や、
文章の
行間にあふれるものが
あるはずである
但是,如果作家以誠實的眼光來看待事物,並懷著真摯的心情,那麼在他的話語背後或文章的字裡行間,必定會流露出某些東西。
私たちは、いつの
世にも通用する
文学を
生まねばならない」
などと、
作家の
あり方を
問う文章を
書き残しています
我們必須創作出無論何時代都能通用的文學作品」等,留下了探討作家應有姿態的文章。
戦後80年に再刊行で出版社は
壺井栄の「絣の着物」は、学術書などを中心に手がける京都市の出版社、琥珀書房が80年ぶりに刊行することになりました
戰後80年再版,出版社為壺井榮的《絣布和服》,以學術書籍為主的京都出版社琥珀書房,決定在時隔80年後重新出版。
代表を務める山本捷馬さんは、ことし4月、発見した北京外国大学の秦剛教授のもとを訪れ「絣の着物」を目にしました
擔任代表的山本捷馬先生在今年四月,拜訪了發現這件事的北京外國語大學秦剛教授,並見到了「絣織和服」。
原本は紺を基調とした表紙に手書き風の字体で書名が書かれていて、今回の再刊でもその表紙を再現するように装丁を作り、かなづかいもそのままに当時の雰囲気を残したということです
原本的封面以深藍色為主調,書名以手寫風格的字體書寫,這次再版時也重現了那個封面設計,並且假名的寫法也保持原樣,保留了當時的氛圍。
「絣の着物」には1942年から2年半ほどかけて執筆されたとみられる13の短編が収録され、山本さんは、国内では未発表の作品の「老人」が最も印象に残ったと話します
《絣布和服》中收錄了據信從1942年起花費約兩年半時間所撰寫的13篇短篇小說,山本先生表示,其中國內未曾發表過的作品《老人》給他留下了最深刻的印象。
戦時中、働き手が減る中で、引っ越したばかりの女性の周りに現れた70歳前後の働き者の老人3人が淡々と描かれていて「戦争の影がある中で、国のためとか大きなことばにくくられず、自分の生活のために働き続ける、毎日を着実に生きる人たちの生き方が描かれていると感じました」と話していました
在戰爭期間,勞動力減少的情況下,剛搬來的女性身邊出現了三位大約七十歲左右、勤奮工作的老人,這一切被平靜地描繪了出來。「即使在戰爭陰影籠罩下,他們並沒有被所謂為國家等宏大詞彙所束縛,而是為了自己的生活持續工作,踏實地過好每一天,我感受到這樣的人生方式被描寫了出來。」她如此說道。
刊行は来月を予定していて「戦争の中での暮らしがとても丁寧に描かれていて興味深く読んでもらえると感じます
預定於下個月出版,「書中非常細緻地描寫了戰爭中的生活,我認為讀者會覺得非常有趣。」
現在進行形の
問題としても、
戦争とはどういうことか
考えるきっかけになってほしい」と
話していました
作為當前正在發生的問題,也希望這能成為大家思考戰爭究竟是什麼的一個契機。