戦没者の
慰霊などのため4
日から
沖縄県を
訪れている
天皇ご
一家は、
那覇市で、
戦時中に
アメリカ軍に
撃沈された
学童疎開船「
対馬丸」の
慰霊碑を
訪れて、
犠牲になった
人たちの
霊を
慰められました
天皇一家為了慰靈戰亡者等,從4日起造訪沖繩縣,在那霸市參拜了於戰時被美軍擊沉的學童疏散船「對馬丸」的慰靈碑,悼念在事件中犧牲的人們。
4日、沖縄戦最後の激戦地、糸満市で戦没者を慰霊し、沖縄戦の体験者や若い語り部などと懇談した天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、5日午前10時半前に那覇市にある対馬丸の犠牲者の慰霊碑を訪ねられました
4日,天皇皇后兩陛下與長女愛子公主在沖繩戰最後激戰地糸滿市慰靈戰亡者,並與沖繩戰經歷者及年輕講述者等座談後,於5日上午10點半前前往那霸市參訪對馬丸犧牲者的慰靈碑。
対馬丸は、終戦前年の昭和19年8月、疎開する学童らを乗せて沖縄から九州へ向かう途中でアメリカ軍に撃沈され、確認されただけでも780人余りの学童を含む1500人近くが犠牲になりました
對馬丸號在終戰前一年的昭和19年8月,載著疏散的學童等人,從沖繩前往九州途中被美軍擊沉,僅確認的就有包含780多名學童在內,將近1500人喪生。
この場所には、上皇ご夫妻も戦後70年を翌年に控えた平成26年に訪問されていて、ご一家は、慰霊碑の前に白い花束を供えて拝礼し、犠牲者の霊を慰められました
這個地方在平成26年(戰後70年即將到來的前一年),上皇夫婦也曾來訪,皇室一家在慰靈碑前獻上白色花束並致以禮拜,安慰了犧牲者的靈魂。
続いて、近くにある対馬丸の悲劇を伝える記念館を訪問されました
館内には、犠牲になった学童や引率の教師など400人余りの遺影のほか、筆箱などの遺品が展示されていて、ご一家は、時折うなずきながら館長の説明に耳を傾けられていました
館內展示著包括犧牲的學童和帶隊老師等四百多人的遺照,以及鉛筆盒等遺物,這一家人一邊時而點頭,一邊聆聽館長的說明。
このあと、対馬丸の生存者や遺族らと懇談し、天皇陛下は、対馬丸の生存者で、家族9人を亡くした高良政勝さん(85)に「本当にいろいろ大変でございましたですね」などとことばをかけられていました
接下來,天皇陛下與對馬丸的生還者及遺屬們懇談,並對失去九位家人的對馬丸生還者高良政勝先生(85歲)說:「真的經歷了許多艱難吧。」等話語。
ご一家は、午後、本土復帰記念事業として開催された沖縄国際海洋博覧会の開幕から50年となるのを記念した企画展を見たあと、6年前の火災で焼失した首里城の再建工事の現場を視察されます
您一家在下午參觀了紀念沖繩國際海洋博覽會開幕50週年的特展,該博覽會作為本土回歸紀念事業舉辦。隨後,您們視察了6年前因火災燒毀的首里城重建工地。
懇談した人たちからは
高良政勝さん(85)は、天皇ご一家との懇談のあと、「皇后さまは、私が話すことはもうないんじゃないかと思うくらい私や家族のことをよくご存じで、感心しました
高良政勝先生(85歲)在與天皇一家懇談後表示:「皇后陛下對我和我的家人非常了解,讓我感到驚訝,甚至覺得自己已經沒什麼可說的了。」
対馬丸記念館に
皇室の
方々が
関心を
持っていただいていることは
非常に
光栄で、
しっかり維持していかないといけないと
しみじみ感じました
能夠得到皇室成員對對馬丸紀念館的關注,讓我感到非常光榮,也深刻體會到我們必須好好維護這座紀念館。
対馬丸の
悲劇について
多くの
人に
知ってもらい、
平和を
維持するために
記念館が
非常に
大きい役目を
果たしているんだなと
思いました」と
話していました
我認為紀念館在讓更多人了解對馬丸悲劇,以及維護和平方面,確實發揮了非常重要的作用。
対馬丸に乗っていた2人の兄を亡くした渡口眞常さん(74)は、天皇ご一家との懇談のあと、「緊張していてどのような会話をしたかあまり覚えていませんが、平和を発信する対馬丸記念館に思いをはせ、上皇さまの時から心を寄せていただいており、子どもたちが犠牲になる戦争の愚かさについて思いを新たにしていただけたのではないかと思います」と話していました
在對馬丸事件中失去了兩位兄長的渡口眞常先生(74歲),在與天皇一家懇談後表示:「因為太緊張了,實在不太記得都談了些什麼。不過我相信,天皇一家也將心思寄託在傳遞和平訊息的對馬丸紀念館上,從上皇時代開始就一直關心著我們。我想這次也讓大家再次思考了戰爭讓孩子們成為犧牲品的愚蠢。」
また、叔父が対馬丸事件の犠牲者で記念館で語り部として活動している嶋田玲子さん(69)は、「皇后さまからは、語り部としてどのようなメッセージを伝えているかと尋ねられました
此外,叔父是對馬丸事件的犧牲者,目前在紀念館擔任說書人的嶋田玲子女士(69歲)表示:「皇后陛下詢問我,作為說書人,我都傳達了哪些訊息。」
愛子さまには、
一緒に
平和を
作っていきましょうと
お伝えしました
両陛下が
沖縄のことを
本当に大切に
思ってくださっていると
感じました
今回愛子さまが
一緒にいらっしゃったことで、
私も
これから子どもたちに
対馬丸で
亡くなった
子どもたちの
メッセージを
伝えなければと
思いました」と
話していました
這次因為愛子公主一同前來,我也覺得今後必須將在對馬丸上喪生的孩子們的訊息傳達給孩子們。
案内役は対馬丸記念館の平良館長
母親が対馬丸の生存者で、天皇ご一家の案内役を務めた対馬丸記念館の平良次子館長は、「この記念館は、戦争を体験した人の悲しみや苦しみを突き詰めていくという役割を果たしていきたいと話すと、両陛下から『ぜひ頑張ってください』とことばをかけていただきました
導覽人是對馬丸紀念館的館長平良次子,她的母親是對馬丸的生還者,並曾擔任天皇一家導覽的平良次子館長表示:「這座紀念館希望能夠徹底傳達經歷過戰爭的人們的悲傷與痛苦。」聽到她這麼說,兩陛下也鼓勵地說:「請務必加油。」
愛子さまも
熱心に
聞いてくださり、
話しやすかったです」と
話していました
沿道から見守った人
「対馬丸記念館」に向かわれた天皇皇后両陛下と愛子さまを沿道から見守った男性は、「対馬丸」に乗っていたおばを亡くしたということです
一位從路邊守望的男性表示,他在「對馬丸紀念館」守望著前往那裡的天皇皇后兩陛下和愛子公主。這位男性說,他曾失去搭乘「對馬丸」的姑媽。
男性は「沖縄の人は今回の訪問をある程度、沖縄の歴史も考えながら見ていると思う
我認為男性說:「沖繩的人這次的來訪,應該也會在考慮沖繩歷史的同時來看待。」
ことしは
戦後80
年で、
生き残った
人が
証言できる最後の
機会だと
思うので、
沖縄のことを
心に
留めてほしい」と
話していました
今年是戰後80週年,我認為這是倖存者最後一次能夠作證的機會,希望大家能將沖繩的事情銘記在心。
沖縄訪問2日目も沿道に多くの人
那覇市内の交差点近くには、5日も天皇皇后両陛下や愛子さまを一目見ようと、多くの人が集まりました
沖繩訪問的第二天,沿途也聚集了許多人。在那霸市內的十字路口附近,5日也有許多人為了一睹天皇、皇后兩陛下與愛子公主的風采而聚集。
夫婦で訪れた浦添市の50代の夫は「沖縄に思いを寄せて下さりありがたいです
感謝您對沖繩的關心,這是和妻子一起來到浦添市的五十多歲丈夫的心聲。
今回の
訪問を
機に、
首里城などへの
観光ももっと
盛り上がるといいなと
思います」と
話していました
他說:「希望藉由這次的來訪,首里城等地的觀光能夠更加熱絡起來。」
40代の妻は「首里城の火事で私たちが悲しい思いをしたこと、今は笑顔で前を向いていること、どちらも愛子さまにぜひ知って頂きたい」と話していました
40多歲的妻子說:「我們因首里城火災感到悲傷,現在又能帶著笑容向前看,這兩件事都希望愛子公主能夠知道。」