水木しげるの作品には、表層を超えた深い含意がこめられている。その代表例の一つが1967年『週刊少年マガジン』に掲載された「さら小僧」だ。これは、よく知られた『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズの一編である。
物語に登場するのは、一向に売れない歌手だ。ある日かれは、沼沢地を通りかかった際、どこからか妙なる歌が聞こえてきて思わず体が踊り出してしまう。その場の全て──蛙、草木までも──がスイングしはじめるほどリズムが素晴らしい。慌ててそれをメモ帳に写したかれは、すぐにバンドを結成し、歌唱化した所、その歌は空前のヒットになった。ライブ会場は常に超満員、テレビやラジオにも引っぱりだこの歓喜の渦。
しかし、この成功も束の間。夜になると、かれの家をノックする者があった。それは、沼に住むさら小僧と妖怪たちだった。盗まれた歌の本来の所有者であるさら小僧は激怒し、知的財産権の侵害も甚だしいと、歌手を「隠れ里」へと連れ去ってしまったのである。言い換えれば、知的財産の保護を訴える物語であるとともに、現代社会における著作権・特許権の在り方を風刺する寓話なのだ。
知的財産権の保護と活用は、今日の企業経営──特にグローバル展開において──極めて重要な戦略と化している。その歴史的背景を遡れば、この流れを先駆けて発展させたのがアメリカである。親パテント、反パテントの動きが循環的に繰り返されたが、米国連邦特許法が制定されたのは1790年。
日本においては、蔦屋重三郎と山東京伝が風紀紊乱の咎を受けた時期に相当する。
米国に出張した際、商務省の玄関脇に掲げられた「特許制度とは才子の焔に利得の油を注ぐものである」という言葉に目を引かれた。これは、第16代大統領リンカーンのものだ。
ゼロックス社に見られるように、特許戦略は企業の躍進を支える最強の武器になり得る。私が新入社員だった当時、ゼロックスは世界最先端のPPC方式で普通紙へのコピーを可能にし、業界を席巻していた。その強さは、600件を超える特許によって構築された防衛システムにあった。
周辺技術に及ぶまで鉄壁の特許で固められ、和解金を払わされる米国企業も少なくなかったという。
ゼロックスの要塞に果敢に挑んだのが、当時主業がカメラであったC社である。多角化を模索する同社にとって、コピー機市場は魅力的な分野であったが、あまりに強大なゼロックスの壁に阻まれていた。それでも経営陣は、無謀との批判を押し切り、NP方式の特許を開発し、米国に特許出願を申請した。ゼロックス社の牙城を打ち破った証左として、C社の株価はわずか一週間で50%上昇したが、その後、製品化まで苦難の時を過ごすことになる。1972年、NP-L7が高性能・低価格を引っさげ、ベストセラーとなったことで事態は変わる。
ゼロックスとの訴訟を乗り越えるために持ちこたえた技術力と特許戦略が、C社をして今日の特許大国に押し上げた。
特許だけでない。知的財産は、著作権など広義の概念へと拡張している。たとえば、飲食店で流れるBGMは、事実上、著作権者に対する報酬にほかならない。アーティストや歌手の権利を守る動きも強まり、演奏や音楽伝達権に関連する著作隣接権の保護については、世界142カ国が国際的条約に署名しているにもかかわらず、日本は留保しているというのが現状である。
日本文化のグローバル展開を推進するには、文化担い手の権利保護を強化する以外にない。特許の防衛は難易度が高い。むしろそれが、知的財産の世界における普遍的な戦いであり、戦略だ。文化と経済の両輪による国益の追求に必須である。権利を擁護する先には創造力の焔があり、そのおかげでこそ、日本文化は国際舞台で輝くことができるのだ。