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JLPT N1 – Reading Exercise 129
調しらべることと書かくことは、もっぱら私わたしのようなジャーナリストにだけ必要ひつようとされる能力のうりょくではなく、現代げんだい社会しゃかいにおいては、ほとんどあらゆる知的ちてき職業しょくぎょうにおいて、一生いっしょうの問とい必要ひつようとされる能力のうりょくである。ジャーナリストであろうと、官僚かんりょうであろうと、ビジネスマンであろうと、研究職けんきゅうしょく、法律職ほうりつしょく、教育職きょういくしょくなどの知的ちてき労働者ろうどうしゃであろうと、大学だいがくを出でてからつくたいていの職業しょくぎょう生活せいかつのかなりの部分ぶぶんが、調しらべることと書かくことに費ついやされるはずである。「1」近代きんだい社会しゃかいは、あらゆる側面そくめんにおいて、基本的きほんてきに文書ぶんしょ化かされることで組織そしきされているからである。人ひとを動うごかし、組織そしきを動うごかし、社会しゃかいを動うごかそうと思おもうなら、「2」いい文章ぶんしょうが書かけなければならない。いい文章ぶんしょうとは、名文めいぶんということではない。うまい文章ぶんしょうでなくてもよいが、達意たついの文章ぶんしょうでなければならない。文章ぶんしょうを書かくということは、何なにかを伝つたえたいということである。自分じぶんが伝つたえたいことが、その文章ぶんしょうを読よむ人ひとに伝つたわらなければ何なにもならない。何なにかを伝つたえる文章ぶんしょうは、まずロジカルでなければならない。しかし、ロジックには内容ないよう(コンテンツ)がともなわなければならない。論ろんより証拠しょうこなのである。論ろんを立たてるほうは、頭あたまの中なかの作業さぎょうですむが、コンテンツのほうは、どこからか材料ざいりょうを調しらべて持もってこなければならない。いいコンテンツに必要ひつようなのは、材料ざいりょうとなるファクトであり、情報じょうほうである。そこでどうしても調しらべるという作業さぎょうが必要ひつようになってくる。(立花たちばな隆たかしほか『二十歳はたちのころ』新潮社しんちょうしゃによる)