親孝行という話をすれば、私はいろんな人に、子供に期待するなよ、ということを言うんですね。なかば冗談なのですが、子供は親孝行なんかする必要ないんだと。なぜかといえば、子供が生まれる前、そして生まれた瞬間、それから六つ七つぐらいまでのあいだに、子供は親に生きる喜びというものを十分与えつくしているのだから、というふうに言うのです。
昔、私の友人でも、生まれる子供の名前を一生懸命に考えて、暇があればノートに書きつけているような男が、おりました。そのことは彼の生きていく上でのひとつの喜びだったと思います。そして子供が生まれる。そのうちに片言でパパ、なんて言ったりする。それから歩くようになる。(中略)幼稚園にはいり、小学校にあがる。子供の誕生から成長の過程のなかで、そのつど両親は言葉につくせないほどの人生の喜びというものをあじわいっくしているんじゃないかと思います。
(五木寛之「人生の目的」による)
1.
親は子供に親孝行を期待してもよいが、子供が十分成長するまで待うべきであろう。
2.
親は子供が幼い時に愛情を与えつくしたのだから、子供が親孝行するのは自然であろう。
3.
子供は幼いころに親に対して生きる喜びをすでに与えておリ、それが何よりの親孝行であろう。
4.
子供の成長は親にとって生きていく上で喜びだが、子供の側も親が喜ぶように孝行するべきであろう。
Theo tác giả, ý nào dưới đây là đúng?
1. Cha mẹ có thể kỳ vọng vào lòng hiếu thảo của con cái, nhưng nên chờ đợi cho đến khi con cái trưởng thành.
2. Cha mẹ đã dành trọn tình yêu thương khi con cái còn nhỏ, nên việc con cái hiếu thảo là điều tự nhiên.
3. Con cái đã mang lại niềm vui sống cho cha mẹ khi còn nhỏ, và đó là lòng hiếu thảo lớn nhất.
4. Sự trưởng thành của con cái là niềm vui sống của cha mẹ, nhưng con cái cũng nên hiếu thảo để làm cha mẹ vui lòng.