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「未来への希望を」震災14年 被災地の声【随時更新】

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  1. Reading Practice
  2. Article Details

「未来みらいへの希望きぼうを」震災しんさい14年ねん 被災ひさい地ちの声こえ【随時ずいじ更新こうしん】

N2
11/03/202556
「未来への希望を」震災14年 被災地の声【随時更新】
0:00

東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいの発生はっせいから14年ねん。各地かくちの声こえを集あつめました。
「助たすかる命いのちを増ふやす」

震災しんさいの伝承でんしょう活動かつどうに取り組とりくむ公益社こうえきしゃ団だん法人ほうじんで最年少さいねんしょうメンバーとして活動かつどうしている、若生わこう遥はるか斗とさん(22)。
小学しょうがく2年生ねんせいだった当時とうじ、七ヶ浜しちがはま町まちの汐見しおみ小学校しょうがっこうで大おおきな揺ゆれに襲おそわれ、避難ひなんした高台たかだいの神社じんじゃから町まちを襲おそう津波つなみを目めにしました。
家族かぞくや住宅じゅうたくに被害ひがいはありませんでしたが、震災しんさいで家族かぞくを失うしなって心こころに深ふかい傷きずを負おった同級生どうきゅうせいなどと接せっするなかで、「助たすかる命いのちを増ふやすには、1人にんでも多おおくの人ひとに防災ぼうさいの知識ちしきを伝つたえていかなければ」と考かんがえ、高校こうこう1年生ねんせいの時ときから伝承でんしょう活動かつどうを行おこなってきました。
高校こうこう卒業そつぎょう後ごは貿易ぼうえき関連かんれんの会社かいしゃに就職しゅうしょくしましたが、休日きゅうじつなどを利用りようして活動かつどうを続つづけてきました。
去年きょねん10月つき、若生わこうさんは「伝承でんしょう活動かつどうに専念せんねんしたい」との思おもいから4年間ねんかん勤つとめた会社かいしゃを辞やめ、今いまの公益こうえき社しゃ団だん法人ほうじんに転職てんしょくしました。


11日にち、若生わこうさんが活動かつどうしている石巻いしのまき市しの伝承でんしょう交流こうりゅう施設しせつ「MEET門脇かどわき」には、県内けんない外がいから多おおくの来館らいかん者しゃが訪おとずれました。
若生わこうさん「今いま、思い出おもいだすと、津波つなみを怖こわいと感かんじませんでした。何なにが起おきてるんだろうと。怖こわさを知しらないことが一番いちばん怖こわいことです」
話はなしを聞きいた埼玉さいたま県けんの20代だいの女性じょせい「震災しんさいは絶対ぜったいに忘わすれてはいけないことだと痛感つうかんしました。私わたしと1歳さいしか変かわらないのに、自分じぶんで考かんがえて未来みらいにつなげる仕事しごとができているのは、すごいなと思おもいます」
若生わこうさん「この団体だんたいに入はいってから、伝つたえることの重要じゅうよう性せいをより感かんじているので、訪おとずれた人ひとたちが防災ぼうさいについて学まなぶきっかけを作つくれたらと思おもいます」


「みんな元気げんきでやっているよ」

仙台せんだい市し若林わかばやし区くにある「浄土寺じょうどじ」は津波つなみで本堂ほんどうが流ながされ、寺てらの檀家だんかや信徒しんとあわせて135人にんが犠牲ぎせいになりました。
2017年ねんに内陸ないりくに場所ばしょを移うつして新あらたな本堂ほんどうを建たてましたが、墓地ぼちはもとの場所ばしょで再建さいけんしていて、朝あさから遺族いぞくなどが墓参はかまいりに訪おとずれていました。


当時とうじ73歳さいの姉あねが犠牲ぎせいになった多賀城たがじょう市しの80代だいの女性じょせい「コーヒーが好すきだったので、お菓子おかしを供そなえました。心こころの中なかで近況きんきょう報告ほうこくをして、『みんな元気げんきでやってるよ』『見守みまもってね』といろいろとお話おはなししました。姉あねはもう帰かえってこないので、残のこりの人生じんせいは姉あねに教おしえられたことを胸むねに、自分じぶんたちの人生じんせいを生いきていきたいと思おもっています」
教員きょういん時代じだいの教え子おしえごが6歳さいの娘むすめを亡なくし、毎年まいとし訪おとずれているという柴田しばた町まちの70代だいの男性だんせい「私わたしにできることは手てを合あわせることしかないので、1年ねんに1回かいでもここで手てを合あわせることを続つづけたいです」


「南海なんかいトラフ地震じしんなどに備そなえてほしい」

津波つなみなどで14人にんが亡なくなり、2人にんが行方ゆくえ不明ふめいとなった千葉ちば県けん旭あさひ市し。
飯岡いいおか地区ちくに住すむ嶋田しまだ洋ひろしさんは(77)、自宅じたくで津波つなみに襲おそわれ2階かいに逃のがれて助たすかりましたが、近ちかくに住すむいとこの小池こいけ正彦まさひこさんを津波つなみで亡なくしました。
嶋田しまださんは、今いまも毎月まいつき、小池こいけさんの墓参はかまいりをしていて、11日にちも墓はかを訪おとずれ、線香せんこうを手向たむけ静しずかに手てを合あわせていました。


嶋田しまださん「何なにでも話はなせる兄あにのような存在そんざいでした。14年ねんはあっという間あっというまで、日々ひび、1いち日にちを大事だいじに過すごしています。震災しんさいを教訓きょうくんに家族かぞくで避難ひなん場所ばしょを決きめ、いざというときはいち早いちはやく自分じぶんで逃にげるよう、話はなしをしています。みんなも震災しんさいを忘わすれず、南海なんかいトラフ地震じしんなどに備そなえてほしいです」


「命いのちを守まもれるよう、備そなえていく」

福島ふくしま県けん相馬そうま市しの磯部いそべ地区ちくでは震災しんさいで251人にんが犠牲ぎせいになり、このうち12人にんは小学生しょうがくせいや幼稚園ようちえん児じでした。
地区ちくの高台たかだいにある小学校しょうがっこうには、亡なくなった子こどもたちの慰霊いれい碑ひが設もうけられていて、11日にち、全校ぜんこう児童じどう15人にんが参加さんかして追悼ついとうの集つどいが行おこなわれました。


在校生ざいこうせい代表だいひょう5年生ねんせいの菊地きくち夏なつ々美よしさん「つらく悲かなしい出来事できごとを二度にどと繰り返くりかえさないため、自分じぶんや大切たいせつな人ひとの命いのちを守まもれるよう、備そなえていきます。震災しんさいで亡なくなった人ひとの分ぶんまで、一生いっしょう懸命けんめい頑張がんばる私わたしたちをこれからも見守みまもって下ください」
3年生ねんせいの児童じどう「犠牲ぎせいになった人ひとたちは、津波つなみが起おきていなかったら、きっと周まわりの人ひとと仲良なかよくして楽たのしかっただろうと思おもいます。震災しんさいのことを語り継かたりつがなくてはいけないと思おもいます」


「1人にんでも多おおく戻もどって来きてほしい」

東京とうきょう電力でんりょく福島ふくしま第だい一いち原子力げんしりょく発電はつでん所しょが立地りっちする福島ふくしま県けん大熊おおくま町まち。原発げんぱつ事故じこ後ご、すべての住民じゅうみんが避難ひなんを余儀よぎなくされ、除じょ染そめなどが進すすめられた結果けっか、2019年ねん4月つき、住民じゅうみんの帰還きかんが始はじまりました。しかし町まちに住すむ人ひとはかつての1割わり程度ていどにとどまっています。
佐藤さとう右みぎ吉よしさん(86)は、避難ひなん先さきの会津あいづ若松わかまつ市しから大川原おおかわら地区ちくの自宅じたくに戻もどってまもなく6年ねんとなり、妻つまと2人にんで暮くらしています。しかし近隣きんりんの住民じゅうみんは今いまもなお戻もどっておらず、かつての日常にちじょうは取り戻とりもどせていないと感かんじています。


佐藤さとうさん「避難ひなんした人ひとには1人にんでも多おおく戻もどって来きてほしい。住民じゅうみんが少すくなく、さみしく感かんじます」
佐藤さとうさんの今いまの楽たのしみは菊きくやバラの花はなを育そだてることで、11日にちも朝日あさひを浴あびながら、花壇かだんの土どを耕たがやしていました。
佐藤さとうさん「まちの人ひとが花はなを見みに来きてくれることが何なによりうれしい。これからも花はなで皆みなさんを喜よろこばせて、まちがもとの姿すがたに戻もどってほしい」


「移転いてんするか、葛藤かっとうもあった」

津波つなみで37人にんが犠牲ぎせいになった岩手いわて県けん野田のだ村むら。地震じしんの後のちに建設けんせつされた海うみに面めんした公園こうえんを散歩さんぽしていた大沢おおさわ剛つよしさんは、津波つなみで自宅じたくが流ながされたということです。
自宅じたくの再建さいけんにあたり、高台たかだいへの移転いてんも検討けんとうしましたが、元もとの場所ばしょへの愛着あいちゃくもあって、同おなじ場所ばしょに建たてたということです。


大沢おおさわさん「移転いてんするか、元もとの場所ばしょにとどまるか葛藤かっとうもあった。14年ねん前まえ、震災しんさいが起おきた年としに生うまれた自分じぶんの子こどもは、震災しんさい前まえの村むらの町並まちなみを知しりませんが、新あたらしい村むらを引っ張ひっぱっていく人材じんざいに育そだってほしい」


「14年ねん前まえの自分じぶんに会あいに行いく日ひ」

大槌おおつち町まち出身しゅっしんで東京とうきょうを中心ちゅうしんに活動かつどうしているトランペット奏者そうしゃ、臺隆裕たかひろさんです。
臺さんは14年ねん前まえ、吹奏楽すいそうがく部ぶに所属しょぞくしていた高校こうこう1年生ねんせいの時ときに震災しんさいを経験けいけんし、変わり果かわりはてたふるさとを前まえにして、音楽おんがくを続つづけることを諦あきらめかけました。
しかし、避難ひなん所しょなどで演奏えんそうを続つづける中なか、自分じぶんの音楽おんがくで喜よろこんでくれる地元じもとに人ひとたちの姿すがたを見みて、トランペット奏者そうしゃを目指めざして上京じょうきょうしました。
その後そのご、関東かんとうを中心ちゅうしんに12年間ねんかんプロで活動かつどうを続つづけ、震災しんさい14年ねんを前まえに、活動かつどう拠点きょてんを大槌おおつち町まちに移うつしました。
臺さんは大槌おおつち町まちの海うみを前まえに自分じぶんで作曲さっきょくした2曲きょくと「ふるさと」を演奏えんそうし、もう一度もういちどふるさとで生いきていく決意けついを新あらたにしていました。


臺さん「きょうは14年ねん前まえの自分じぶんに会あいに行いく日ひでもあり、あの時ときに亡なくなった人ひとたちに会あいに行いく日ひ、そして、未来みらいへの希望きぼうを考かんがえる日ひです。ふるさとを思おもってきた14年ねんでした。残のこりの生いきている時間じかんでこの町まちの希望きぼうにつながることをやっていきたいです」


「伝承でんしょうしていかなければ」

民泊みんぱくを営いとなむ陸前りくぜん高田たかだ市し気仙けせん町まちの及川おいかわ和雄かずおさん(75)は、宿泊しゅくはくしている大学生だいがくせい4人にんを連つれて東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいの犠牲ぎせい者しゃを追悼ついとうする公園こうえんを訪おとずれました。
及川おいかわさんは14年ねん前まえの11日にち、当時とうじ一緒いっしょに暮くらしていた父親ちちおやの周しゅう太郎たろうさんを津波つなみで亡なくしました


及川おいかわさん「父親ちちおやが津波つなみで流ながされた当時とうじのことを思い出おもいだしました。あの時ときはこうだったなと振り返ふりかえって伝承でんしょうしていかなければと思おもいながら海うみを見みていました」
一緒いっしょに訪おとずれた神奈川かながわ県けんの大学生だいがくせい、磯いそ邉 諒りょうさん(19)「当時とうじは5歳さいくらいで、物心ぶっしんもついていないころでした。被害ひがい状況じょうきょうや被害ひがいにあった人ひとの心境しんきょうなどを知しらずに今いままできましたが、実際じっさいに震災しんさいで何なん人にんもの人ひとが犠牲ぎせいになったと改あらためて実感じっかんしました」


「短みじかいような長ながいような14年ねん」

仙台せんだい市し若林わかばやし区くの荒浜あらはま地区ちくで生うまれ育そだった大学だいがく敏彦としひこさん(70)です。
震災しんさい発生はっせいの当日とうじつ、仕事しごとで自宅じたくを離はなれていて無事ぶじでしたが、津波つなみで自宅じたくと実家じっかを流ながされ妻つまと両親りょうしん、兄あにとおい、あわせて5人にんを亡なくしました。
妻つまの眞知子まちこさんは(当時とうじ60)いつも笑顔えがおで、けんかすることはほとんどなく大学だいがくさんに寄り添よりそってくれたといいます。
大学だいがくさんは、この14年ねんの間ま、毎月まいつき11日にちの月つき命日めいにちには欠かかさずここで祈いのりをささげてきました。
大学だいがくさんは、水平すいへい線せんからのぼった真っ赤まっかな朝日あさひを見みつめたあと、家族かぞくの名前なまえが刻きざまれた慰霊いれい碑ひに線香せんこうを手向たむけ亡なくなった妻つまを思おもい手てを合あわせ、慰霊いれいの鐘かねを鳴ならしました。


大学だいがくさん「14年ねんは短みじかいような長ながいような時間じかんでした。妻つまと子こどもや孫まごの成長せいちょうを一緒いっしょに見みたかったけど、自分じぶんが供養くようできるうちは供養くようしてあげたいので、見守みまもっていてほしい」

Source: NHK
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