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2月末からの大規模な山林火災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市。
山林火災の被災者の中には14年前の津波で自宅が流され、その後、再建した家を火災で再び失ったという「二重被災」の人もいて、こうした人たちの心のケアや支援をどうするか喫緊の課題となっています。
中心部の公園では朝から祈り
大船渡市中心部にある「みなと公園」には、震災で犠牲となった人を悼み、教訓を後世に伝えようと、追悼施設「祈りのモニュメント」が去年の3月11日に完成しました。
きょうも早朝から公園を訪れ、海に向かって手を合わせたり、公園に設置された鐘を鳴らしたりして、祈りをささげる人の姿が見られました。
14年前の震災で2人のいとこを亡くした80代の女性は「震災の犠牲者に祈りをささげるために毎日、公園に来て鐘を鳴らしています。先日の山林火災もこの場所から見つめることしかできませんでしたが、鎮火して本当によかったです。平和な世の中を心から祈っています」と話していました。
岩手県大船渡市の山林火災で26棟の住宅被害があった三陸町綾里の港地区の漁港では、午前6時ごろ、日の出とともに周囲が明るくなってくる中、漁のために出航する漁船の姿も見られました。
地区には焼け落ちた住宅などが依然、そのままの状態で、周囲には焦げ臭いにおいが立ちこめています。
港地区に住む森下幹生さん(75)は、山林火災で自宅が被害を受け、11日は思い出の品を探していました。
森下さんは、14年前の巨大地震による津波で経営する水産加工会社の事務所や加工場が全壊したほか、従業員を亡くしたということです。
「事前に航空写真で焼けているのは知っていたので、覚悟はしていました。14年という短い間に再び大きな災害にあい、人生何があるかわかりません」と話していました。
大船渡市三陸町綾里地区に住む漁業者の亘理孝一さん(71)は、今回の山林火災で船を対岸に移動させていて、避難指示が10日に解除されたことを受けて、11日朝、地元の綾里漁港に戻りました。
亘理さんは14年前の津波で自宅が流され、2か月間この船のなかで寝泊まりをしていました。
その後、自宅の跡地に倉庫を建てましたが、今回の山林火災で焼け、資材の多くを失いました。
亘理さんは「複雑な思いです。震災の時には多くの船が被災して涙を流していた仲間の顔が今でも思い出されます。震災の前の状況に近づいてきたときに、まさかこんな火災に見舞われるとは夢にも思いませんでした」と話していました。
三陸町綾里の港地区で散歩していた60代の男性は「14年前の津波で地区が大きな被害を受けて住民が減ったうえに、今回の山林火災が起きたことでさらに地域から人が減ってしまうのではないかと心配だ。きょうは震災が起きた時間には手は合わせたいと思うが、山林火災で近所の家も焼けているので、気持ちの整理がつかない。すべてが元通りになるまで、時間がかかると思う」と話していました。
大船渡市三陸町にある「三陸公民館」の避難所では、午前5時半ごろ日の出とともに徐々に周囲が明るくなると、被害を確認するため自宅に戻ったり、仕事に向かったりする人の姿がみられました。
夫婦で避難している60代の男性は「自宅は無事でしたが、親族の家が全焼してとても残念でした。14年前の震災のときには、自分は三重県にいたので震災のつらさは経験していませんが、今回の山林火災ではじめて被災することのつらさを経験しました」と話していました。
大船渡市の山林火災の影響で18棟の住宅が全壊した赤崎町外口地区では、避難指示解除から一夜明けた11日午前6時すぎに雲の隙間から朝日が昇りあたりを照らし出していました。
地区では焼け焦げた住宅がそのままの状態で残されている一方で、被害をまぬがれた住宅もあり、新聞配達を行う人の姿も見られました。
山林火災の影響で三陸鉄道は大船渡市の盛駅と三陸駅の間で運転を見合わせていましたが、安全が確認されたとして11日始発から運転を再開しました。
三陸鉄道は、14年前の3月11日に発生した東日本大震災の津波で駅舎やレールが流され、甚大な被害を受けましたが、およそ3年後に全線で復旧し「復興の象徴」として多くの人に親しまれていて、今回の山林火災からも復旧を果たしたことに喜びの声が聞かれました。
釜石市に住む40代の女性は「きょう運転が再開してくれて本当によかった。なくてはならない存在です」と話していました。
東京から訪れた50代の男性は「震災や山林火災の被害を乗り越えた鉄道には復興の象徴的な意味があるのだろうと思いました。地元の人たちにとって鉄道は特別な存在だと思います」と話していました。