乗客の家族などあわせて11人の原告が意見陳述を行い、元妻と小学生だった息子が行方不明になっている男性は「死ぬまで喪失感は消えない」と訴えました。
知床観光船沈没事故とは
事故が起きたのは、3年前、2022年の4月23日でした。
「知床遊覧船」が運航する観光船「KAZU I」は、午前10時ごろにウトロ港を出港しましたが、午後1時18分ごろ通信が途絶え、知床半島の沖合で沈没したとみられています。
観光船には乗客と乗員あわせて26人が乗船していましたが、このうち20人が死亡し、6人がいまも行方不明になっています。
桂田精一社長は、事故から4日後の記者会見で、ひざまずいて深く頭を下げ、「このたびは当社の船舶のクルーズの中で大変な事故を起こしてしまい、被害者の方々に対し大変、申し訳ございません。被害者の方々のご家族に対して大変な負担をかけております、申し訳ございません」と謝罪しました。
そして、事故の当日、周辺では強風注意報や波浪注意報が出されていたことは認識していたとしたうえで、「午後の天気が荒れる可能性があるが、朝の時点では風や波が強くなかった。海が荒れるようなら引き返す『条件付き運航』として出港させた」と説明していました。
観光船の出航を決めた判断については、「いまとなれば、このような事故を起こしてしまったので、間違っていたと思っている」と述べていました。
事故を調査した国の運輸安全委員会は2023年、9月、報告書を公表しました。
この中では、船の甲板にあるハッチのふたが確実に閉まっていない状態で運航したため、船内に海水が流入したとしたうえで、知見のない桂田社長が安全管理者の立場にあるなど、会社には安全管理体制が存在していない状態だったと指摘しました。
桂田社長は、運航管理者などとして事故を未然に防ぐ義務を怠り、乗客と乗員を死亡させたとして、2024年10月に業務上過失致死の罪で起訴されました。
この事故をめぐり、乗客14人の家族など29人は去年7月、運航会社の「知床遊覧船」と、業務上過失致死の罪で起訴された社長の桂田精一被告(61)にあわせておよそ15億円の損害賠償を求める訴えを起こしました。
裁判の最大の争点「事件当日に船を出航させた判断の是非」
この裁判が13日午後、札幌地方裁判所で始まり、桂田社長も出廷しました。
裁判では、「事件当日に船を出航させた判断の是非」が最大の争点になる見通しです。
国の運輸安全委員会の報告書によりますと、事故当日は、周辺の海域に風速15メートル、波の高さ2メートルから2.5メートルの予報が出されていました。
原告側は、会社の運航基準では風速8メートル以上、波の高さ1メートル以上に達するおそれがある場合は、出航を中止しなければならないと定めていたのに、桂田社長は中止を指示しなかったとして、事故に直結した重大な過失にあたるなどと主張しました。
これに対し被告側は、当日の朝のミーティングでは、船長から海が荒れる可能性がある場合に引き返す『条件付き運航』にしたと報告を受けていて、港では出航前の波の高さは穏やかだったとして、運航の中止を指示すべき状況だったとはいえず、桂田社長に過失は認められないと反論しました。
また、原告側は、運輸安全委員会の報告書で「運航会社の安全管理体制が欠如していた」などと指摘されたことを、慰謝料を算定する理由として考慮するよう求めました。
これに対し被告側は、会社に一定の賠償責任があることは認める一方、報告書は事故の責任を問うことを目的とするものではなく、事実認定にも誤りがあるとして、「安全管理体制が欠如していた」と評価することはできないと反論しました。
このあと、乗客の家族などあわせて11人の原告が意見陳述しました。
11人の原告が意見陳述
最初の原告「父が代弁できない思いを」
「父は仕事に熱心で、『少し時間ができたから友だちと旅行に行く』と言って、家を出たのが最後の会話になりました。一緒に旅行に行った友人の家族から、父が乗った船が事故にあったと聞いたときには頭が真っ白になりました」と当時を振り返りました。そのうえで「桂田社長は規則を破り、尊い命を奪っておきながら普通の生活をしていることに強い怒りを覚えます。父が代弁できなかった思いや同じような思いをする人がいなくなるように厳正な審理をお願いします」と訴えました。
2番目の男性「人生えぐられるような思い」
「いちばん無念に思うことは、私がこれから親孝行や、弟に何か兄らしいことをできる時期だったということです。新しく生まれた子どもは、両親にとって初孫でした。子どもともっと一緒に遊んでほしかった。成長を見てもらえないことが本当に悔しくてたまりません。私以外の家族が事故で亡くなり、私だけが残されました。こんな状況で今までと同じ生活など到底送ることはできません。人生をえぐられるような思いで生活しています。桂田社長から個別の謝罪を受けたことはありません。両親と弟が経験した、息もできないほど冷たい水に飛び込む気持ちを知ってほしい」と時折、涙でことばを詰まらせながら述べました。
3番目の男性「家族の心情に寄り添った判決を」
3番目に意見陳述を行ったのは北海道外に住む30代男性です。
「私は被害者の息子で、父のことは『おやじ』と呼んでいました。まさかおやじがこのような事件に巻き込まれるとは、想像できませんでした。おやじはいまだ行方不明のままです。おやじの初孫の娘がことばを話すようになったある日、『じぃじ、帰ってこないね』と言いました。それを聞いたとき、悲しみとこのようにした桂田氏に改めて怒りを感じざるをえませんでした。おやじの無念を少しでも晴らすために、家族の心情に寄り添った判決をしていただけるようお願いします」。
7番目の男性「海の厳しさを自分の体で経験して」
4番目から7番目は家族で意見陳述を行いました。
このうち7番目は60代の男性でした。
「私たちの大切な息子は34歳で命を落としました。日常生活ではさまざまな場面で息子がいたら『なんて言うだろうな』などと考え、そのたびに夫婦ともども涙が浮かんできます。私は入浴時に、『お父さんはこんなに温かい風呂に入ってごめんな』と心の中で息子にわび、冷水を頭にかぶって息子の苦痛と悔しさを忘れないようにしている毎日です」と述べました。そして、桂田社長のほうを見すえ、「被告にも氷のように冷たいあの海の厳しさを自分の体で経験してみろといまでも毎日思っています」。
8番目の男性「死ぬまで喪失感は消えない」
8番目に意見陳述を行ったのは北海道十勝地方の50代の男性です。
元妻と小学生だった息子が行方不明になっています。
「元妻は、自分のせいで息子をこんな状況にさせてしまったと思い、すごく無念だったと思います。私はどんなに子どもを抱きしめたい、手をつなぎたいと思ってもできません。夢で会うことしかできません。外で同い年くらいの子どもを見かけると、つらくて目をそらしてしまいます。私は死ぬまでこの喪失感が消えないと思うし、心から笑うこともないと思っています」。
また、桂田社長に対しては「自分の会社の船が沈没事故を起こしてこれだけ多くの方が亡くなって、亡くなった人やその家族などに申し訳ないと思わないのでしょうか。桂田氏のまったく反省が感じられない態度に接すると、さらに追い打ちをかけられるように、苦しく、つらい気持ちになります」と涙を流し、ことばを詰まらせながら訴えました。
「事件から3年が経過しましたが、時間がたったとは感じません。毎日事件のことが頭から離れません。この事件に関してまだ誰も責任を取っていないので、私の気持ちは何も変わっていません」。